
触れることは、触れられることなのかもしれない
- 6月5日
- 読了時間: 3分
先日、
山の中を裸足で歩いてみました。
土の感触。
小石の硬さ。
濡れた木の根っこ。
冷たい水。
そして、
その全部を感じている
自分の足の裏。
普段、
私はこんなにも繊細に
自分の足の裏を感じていなかったんだ。
そんなことに気づきました。

木にも触れてみました。
じっと触れていると、
木の中を流れている
バイブレーションのようなものを感じる。
だけどだんだん、
木を感じているのか、
自分自身を感じているのか、
わからなくなってくる。
私が木に触れているというより、
木が私に触れているようにも感じました。
裸足で山を歩いたあとは、
身体の感覚がすごく鮮明になります。
全身が満たされて、
軽くなる。
裸足登山のあとに靴を履くと、
靴の柔らかさに感動します。
触れるものも、
自分の身体も、
全部が愛おしく感じます。
「感じる」って、
こんなに豊かなことだったんだ。
自分って、
こんなに愛おしい存在だったんだ。
そんな感覚が、
静かに広がっていきました。

私は、
子宮バランスセラピーを通して、
「感じること」の大切さを
伝えていますが
私はまだ、
“本当に触れる”って
どういうことなのか
全然わかっていないのかもしれないと
思うことがよくあります。
施術中、
お腹に触れながら
相手の脈を感じていると、
いつの間にか、
自分の脈なのか
相手の脈なのか
わからなくなる時があります。
でもその時
どちらでもあるような気がしています。
人に触れていると、
自分が思っていたより
冷えていたことに気づくこともあります。
逆に、
誰かに触れられることで、
自分ってこんなに柔らかかったんだ
と感じることもある。
子宮を大切に見つけてもらうことで、
私って大切にされていい存在なんだって気づいて
泣きたくなることがあります。
たぶんその瞬間、
触れられているようでいて、
“自分自身”に
触れているんだと思います。
私って、
大切にされてよかったんだ。
無視していたのは、
自分だったんだ。
そんなふうに、
身体を通して
気づいていく。
触れて、
触れられて、
人を通して、
自分に出会っていく。
そういうことって、
本当にたくさんある。
木や土や石や水は
何もしない。
ただそこにある。
だからこそ、
触れた時に、
“触れている私”が、
自分自身を感じる。
それって、
セラピストの在り方にも
少し似ている気がしています。
知識や技術を増やして、
何かをしてあげることよりも、
ただ、
安心して存在して、
木や石や土や水みたいに、
相手が自分自身を感じられるように、
寄り添うこと。
私がセラピストとして
やりたいことも、
講師として
伝えたいことも、
結局は、
そこなのかもしれません。

明日のメルマガでは、
最近、
私自身が
“自分の足”との関係を見直した話を、
もう少しだけ書こうと思います。
ずっと無視していた身体に、
ちゃんと触れてみた時、
起きたこと。
そんな話です。
⬇️メルマガ登録はこちら





コメント